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大阪地方裁判所 昭和43年(わ)2225号 判決

被告人 和田年保

主文

被告人を懲役三年に処する。

未決勾留日数中一一〇日を右刑に算入する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は

第一、別紙窃盗犯罪一覧表記載のとおり、単独又は他と共謀の上、昭和四一年七月二四日から同四二年六月七日までの間前後二〇回にわたり、奈良県吉野郡吉野町平尾丹田領藤門善次方前広場外一九ケ所において、押部奈良太郎外一八名所有にかかる木材等(時価合計金五、七三八、七〇三円)を窃取し

第二、和田弘康、皿井昇仁、辻本一男と木材を窃取しようと共謀の上、昭和四二年五月二四日午前三時半頃、大阪府八尾市沼三六九番地建材商鷲家明方材木置場前路上に貨物自動車を乗りつけ、施錠してある鉄鎖を切断して門扉を開き、材木置場内を物色中、これを目撃した知人からの通報により、鷲家明(当三三年)及びその妻鷲家清美(当三三年)が急きよ同所に自動車で駆けつけたので、一旦は材木置場西側のブロツク塀を乗り越え、そのまま逃走しようとしたが、前記貨物自動車が借物であり、また同所に放置しておくと証拠にもなるのでこれに乗車、発進させて逃走しようと考え直し、道路上を前記貨物自動車のところまで引き返したところ、既に弘康が貨物自動車の運転席に乗り込み、鷲家明が、発進を妨げ、証拠を残すべくその側面や前面から鳶口で右運転席のドア及び前面のガラスを打ち破つていた。そこで被告人は、このまゝでは、貨物自動車を発進させて逃走することが困難であり、ひいては貨物自動車を道路上に放置せざるを得ず、証拠を残すことになると考え、逮捕を免かれ、かつ罪跡を湮滅するため、鳶口を持つている鷲家明の背後から抱きついて羽交締めにした上、路端まで押して行つて突き放すという暴行を加えて同人の反抗を抑圧し右貨物自動車荷台に飛びのつて逃走し

たものである。

(証拠の標目)〈省略〉

(法令の適用)

被告人の判示第一の別紙窃盗犯罪一覧表中、1乃至19の各所為は刑法六〇条、二三五条に、20の所為は同法二三五条に、判示第二の所為は同法六〇条(但し、窃盗未遂の点につき)、二四三条、二三八条、二三六条一項に各該当するところ、以上は同法四五条前段の併合罪なので(被告人は昭和四一年一一月一八日罰金刑に処せられているが、刑法の一部を改正する法律昭和四三年法律第六一号附則を適用)、同法四七条本文、一〇条により最も重い判示第二の事後強盗未遂罪の刑に同法一四条の制限内で法定の加重をし、なお犯情を考慮し、同法六六条、七一条、六八条三号により酌量減軽をした刑期の範囲内で被告人を懲役三年に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数中一一〇日を右刑に算入することとし、訴訟費用については刑事訴訟法一八一条一項但書を適用して被告人に負担させない。

(判示第二事実について強盗致傷を認定しない理由)

一、右第二事実の公訴事実は要するに「被告人は和田弘康、皿井昇仁、辻本一男と共謀の上、昭和四二年五月二四日午前三時半頃、大阪府八尾市沼三六九番地先建材商鷲家明方材木置場において、木材を窃取しようとして物色中、これを察知してその場に来合わせた鷲家明及びその妻清美から発見逮捕されそうになり、これを免かれるため、被告人が右鷲家明を後から羽交締めにし、皿井昇仁が右鷲家清美の腰部を丸太棒で殴打する暴行を加え、右暴行により鷲家清美に対し、安静加療三週間を要する左腰臀部打撲血腫の傷害を負わせたものである。」というにある。

前掲判示第二事実についての各証拠及び医師堀辺四郎作成の診断書謄本を総合すると、判示第二の犯行の際、被告人と共にブロツク塀を乗り越え、逃走しようとした皿井昇仁が、被告人と相前後して貨物自動車付近まで引き返し、逮捕を免かれ、かつ罪跡を湮滅するため、木の棒で鷲家清美の左腰部を強打する暴行を加え、よつて同女に対し前記公訴事実記載の傷害を負わせた事実を認めることができる。

従つて被告人が鷲家清美に対する右強盗致傷の責任を負うか否かは、窃盗については共謀のある被告人と皿井昇仁の間に、更に逮捕を免かれ、かつ罪跡を湮滅するため、右各暴行を共同して加えるという意思の連絡が認められるかどうかにかかつているので、以下この点について検討を加える。

前記証拠によると窃盗の共謀は、本件犯行の前日(昭和四二年五月二三日)の午後八時頃、奈良市法華寺の栃早夫方において成立したことが認められるのであるが、その時も、又その後窃盗に着手するまでの間においても被告人、和田弘康、皿井昇仁、辻本一男において、窃取行為を実行中、他人に発見逮捕されそうになつた場合には、これを免かれるため、また罪跡を湮滅するため、暴行、脅迫を加えて逃走することを相談し共謀したという事実は、これを認めるべき証拠がない。

被告人の鷲家明に対する、皿井昇仁の鷲家清美に対する各行為は時間的、場所的に極めて密接しており、その目的も逮捕を免かれ、罪跡を湮滅するという点で共通しているから、いかにも暗黙のうちに共同犯行の意思の連絡があつて前記暴行を加えているように見えるので、検察官もその趣旨で強盗傷人の共同正犯として起訴したものと考えられる。

そこでこの点につき更に検討すると、被告人の司法巡査に対する昭和四三年七月一〇日付供述調書、検察官に対する同月一二日付供述調書、及び当公判廷における供述によれば、被告人は鷲家夫婦に発見されたため、逃走すべくブロツク塀を乗り越えて木材置場を出たが、その際、和田弘康、辻本の姿は見えず、皿井のみ傍におり、判示のように貨物自動車まで引き返そうと考え、皿井に「ついて来い」と言つて小走りに路上を引き返したが、皿井がどの位置でどのように自分について来たかは判らなかつたこと、引き返してみると弘康が自動車運転席にいて、鷲家明が右運転席ドア及び前面のガラスを鳶口で打ち破つている最中であり(この音は引き返す途中から被告人は聞いていた)、弘康が「兄貴、助けてくれ」と叫んでいたこと、鷲家清美は夫明の行為を止めようとしていたこと、そこで被告人は判示意図のもとに、逃走の最も障害となる鷲家明の右行為を止めさせ、自動車を発進させるため判示行為に及んだこと、その際皿井に声をかけることもなく、又皿井も声を出していなかつたので皿井が何をしているか全く知らなかつたこと、鷲家明を羽交締めにしているとき、鷲家清美の「ウツ」という息づまるような声に驚ろいて振返つてみると、同女が腰のあたりを押さえて道路上にうずくまり、その横に皿井が木の棒を持つて立つているのが目に入つたこと、皿井がいつ棒を持つたか被告人は知らなかつたこと、その後被告人は弘康に向つて「早く車を出せ」と怒鳴つて明を道路の端まで約一、二米位の間を押して行つた上突き放し、弘康の運転する自動車の荷台に飛び乗つて逃走したこと、皿井は鷲家清美がうずくまつてからは、それ以上暴行を加えず、被告人より一瞬早く荷台に飛び乗つていること、鷲家夫婦が同所に到着してから、被告人らが自動車で逃走するまでの時間は三〇秒乃至一分間のごく短時間であることが認められる。

そもそも犯行の現場において暗黙の間に共同犯行の意思の連絡があつたというためには、互に相呼応し、相協力して暴行脅迫を加えようとする意思が、被告人らの個別的行動のなかに看取できることが必要であり、しかも片面的共同正犯の成立は判例の否定するところであるから、共同正犯とされる者全員に右の意思が認められなければならないのである。

そうしてみると、被告人は、材木置場を出てから、貨物自動車の置いてある位置に引き返すまで皿井の行動については全く認識せず、独自の判断に基き判示鷲家明に対する暴行に出たのであつて、その途中すなわち同人を羽交締めにしている際、皿井が清美に暴行を加えたことを認識したが、これはすでに右暴行が終了してしまつた後のことであり、被告人が右皿井の暴行について直接同人との間で意思の連絡をとげた事実はこれを認めることができない。もつとも、被告人や皿井が貨物自動車のあたりに引き返した頃、運転席にいた弘康が「兄貴、助けてくれ」と叫び、被告人はその声を聞いて判示暴行に出たのであるが、果して皿井において右弘康の叫び声の意味内容を理解していたかどうかは疑わしく、(同人は、昭和四二年九月二〇日付供述調書において、弘康が何か大声で叫んでいたことは知つているが、何といつて叫んでいたかはわからない旨を供述している。)弘康の叫び声によつて弘康皿井間、ひいては被告人皿井間に鷲家夫婦に対し逮捕を免かれ、罪跡を湮滅するため暴行を加える意思の連絡が暗黙の間に成立したとは考えられない。仮に皿井が被告人と同じく「兄貴、助けてくれ」という弘康の叫び声を理解していたとしても、弘康は司法警察職員に対する供述調書(昭和四二年五月三一日付、六月六日付二通(一通は謄本))中において、「兄貴、助けてくれ」と叫んだのは鷲家明の行為により、身の危険を感じて、思わず叫んだ旨述べており、更に被告人、皿井の鷲家夫婦に対する各行為をはつきりとは認識していない旨述べているのであつて、弘康自身において被告人、皿井と共に逮捕を免かれ、罪跡を湮滅するため鷲家夫婦に暴行、脅迫を加えるいわゆる共同加功の意思のもとに前記のように叫んだとは認めることができず、一方被告人は判示意図のもとに鷲家明に暴行を加えており、弘康の意思内容と相違するのであるから、いずれにしても被告人、弘康間において共同犯行の意思の連絡を認めることは困難である。又、被告人は前記認定のとおり、皿井の鷲家清美に対する暴行を認識した後も、鷲家明に暴行を加えているが前示のように清美は女性で明が自動車の運転席のガラスを破壊するのを止めていたものであり、羽交締めにした被告人を力で制止するような行動を全くとつていなかつたのであるから、被告人が皿井の暴行により助けられたという感を抱いたとは考えられないのであつて、寧ろ被告人にとつては意外の暴行であつたと推察され、しかも皿井は直ぐ自動車に飛び乗つて何らの行為にもでていないばかりでなく、被告人の右行為は、皿井の行為を認識する前からの一連の連続した行為と見られるもので、時間的にも瞬間的なもので皿井の行為の意味を考える余裕もなかつた状態であるから、これを認容し、これを利用したとも認められない(明は被告人が手を放すや直ちに再び鳶口で自動車の窓を破るという行為に出ていて、清美が暴行を受けたことによつてひるんだと供述していないばかりでなく、実際ひるんだとみられる形跡もない)。従つて被告人が皿井の行為を認識した時点において、新たに皿井と共同して暴行を加える意思が被告人に生じたとは認めがたい。

従つて被告人と皿井との間に事後強盗の共同正犯を認めることはできないので、結局被告人は、自己の鷲家明に対する事後強盗の罪責を負うに止まる。

二、当裁判所は別記のとおり、被告人は弘康、皿井、辻本と窃盗を共謀し、物色中、鷲家夫婦に発見され、逮捕を免かれ罪跡を湮滅するため皿井と暴行についての意思の連絡なく、被告人において鷲家明に暴行を加え、皿井において鷲家清美に暴行を加え、その結果鷲家清美に傷害を負わせているのであると認定した。かかる場合、被告人に対して右強盗致傷の罪が成立するが刑法三八条二項を適用して強盗罪の限度で処罰すべきものであると考えるべきでなく、被告人の行為は単純に強盗罪を構成するに過ぎないものというべきである。

従来の裁判例では窃盗を共謀して共犯者が強盗を犯した場合等については、強盗罪が成立するが、窃盗を共謀したに止まる者は強盗の犯意がないからとして、同条項を適用するのが通例であるが、本件の場合、窃盗の点の共謀があるから犯罪としては被告人にも鷲家清美に対する強盗致傷罪(単純一罪)が成立すると考えると強盗致傷罪は結果的加重犯であるから、被告人に事後強盗の犯意がある以上致傷の点につき犯意がないからといって同条項によつて強盗の限度で処断し、強盗致傷の刑で処断しないという結論を導き出すことができない。被告人が皿井の暴行(その結果である傷害)に刑責を負わないのは、右の点につき共同犯行の意思の連絡がないからである。共同犯行の意思の連絡は、理論的には犯意と異なるもので、構成要件の修正形式としての共同正犯(本件では事後強盗の共同正犯)が成立するための構成要件要素であり、構成要件該当の問題なのである。共同犯行の意思の連絡がなければ、はじめから共同正犯は成立していない筈でもはや犯意という責任の問題を論ずる余地はない。事後強盗は窃盗と、逮捕を免かれ罪跡を湮滅する目的をもつてする暴行脅迫との結合犯であり、窃盗の点に共謀があつても、暴行脅迫の点について共同犯行の意思の連絡がなければ、窃盗の点について共同正犯としての罪責を免かれないとしても、事後強盗罪としての共同正犯は成立しないと解しなければならない。従つて、判示のとおり単純に事後強盗未遂罪の成立を認定するに止めた次第である。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 松浦秀寿 黒田直行 中根勝士)

別紙〈省略〉

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